けさのみことば ~こどもとともに~2026.3.3

2026.3.3
「神に心を閉じてはならない」
神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう
詩編95 ヘブライ人への手紙4・7
今日のみ言葉は、詩篇の中からとりました。詩篇というのはイエス様がお生まれになる前から、ユダヤの人たちが歌っていたお祈りです。一五〇もあります。今日、選んだのは「神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう」というところです。
田園調布雙葉の子どもたちは、ずいぶん沢山、神様のお話を聞いています。宗教の時間だけでなく、いろいろな時に聞きました。でも、あまりよく分からなかったこともあったでしょう。「そんなこと」と聞く耳を持たない時もあったかもしれません。
先生の孫は今二歳、イヤイヤ期です。
いろいろなことができるようになってきたのですが、それでもまだ二歳。思ったようにできないことがたくさんあります。少しずつ言葉も覚えてきていますが、言葉でうまく気持ちを伝えることはまだできません。そのもやもやした気持ちが、「いや」という言葉とともに行動にも現れるのでしょう。近くにいる人にその気持ちをぶつけたりもします。そうなると、心が「いや」という感情でいっぱいになって頑なになります。先生の言葉はもちろん、大好きなお母さんの言葉も、全然耳に入らないようです。心が捩じられてしまっているみたいです。
皆さんにも、そんな時期があったと思います。
そして、今でも時々、そんな風になることもあるでしょう。
神様のお言葉も同じです。心のとびらを固く閉じていると中に入っていきません。でも、もしも心のとびらを大きく開けて、こちらから耳を傾け、味わってみると「あっ、そうか、神様のおっしゃることは本当だな」と心に響くことがあります。
例えば、どんなにおいしいごちそうが目の前にあっても、口をしっかり閉じて、見ているだけなら、おいしくも何ともありませんね。口を開けて、ごちそうを口の中に入れて、嚙んでみると「あっ、ほんとうだ。おいしい」とにっこりするでしょう。
神様のお言葉もそれと同じです。心を閉じれば、神様のお言葉は入ってきません。心に入らず、ただ聞くだけでは喜びもいただけません。いろいろなことがあって、自分の思いもあって、神様のお言葉になかなか心の扉を聞けないわたしたちがいます。
人間は、大きくなっても、思った通りに出来ないことがたくさんあります。だから、「イヤイヤ」という感情をずっと持ているのでしょう。けれども、小さな子どもように、「いや、いや」とは言いません。その代わりに、うまくいかないことをすべて誰かのせいにしたり、思い通りになるように、周りの人を利用したりします。大人になると権力やお金などをつかって何とかしようとするかもしれません。このような行いは、神様に心を閉じている状態と言えるでしょう。
先ほど読んだように、今日のみ言葉の後には「今日こそ神の言葉を聞こう」と書かれています。きっと詩編を書いた大昔のユダヤの人々も、神様に心を開くことが難しかったのでしょう。だから「今日こそ」と祈っているのでしょう。「昨日も心開けなかった」とずっと悔やんでいるよりも「今日こそ」と祈ることの方が大事なのです。「明日はできるかしら」と心配するのではなく「今日こそ」と今を大事にしていくことを教えてくれています。
毎日、毎日、「今日こそ神様のことばを聞こう」「今日こそ」「今日こそ」と思ったらいいのです。どうでしょう。それならできるでしょう。
もしかしたら、人間は一生涯、「今日こそ」「今日こそ」と思って歩んでいくのかもしれません。大人になっても、おばあちゃんになっても「今日こそ、神様の前に素直な心で過ごせますように」とお祈りしなければならないのでしょう。そして、この祈りの言葉は自分だけのための祈りではなく、主の祈りに「み心が天に行われるように地にも行われますように」とあるように、みんなが「今日こそは神様のみ心を行うことができますように」と、お互いのために祈る言葉でもあるのです。
今の学年での一年間がもうすぐ終わります。4月からは新しい生活に入って行きます。
「神に心を閉じてはならない。今日こそ神のことばを聞こう」
このすてきなお祈りを忘れずに、お互いのためにも祈れる皆さんでいてくださいね。
これで、2025年度の今朝のみ言葉を終わります。
けさのみことば ~こどもとともに~
- 2026.3.3「神に心を閉じてはならない」
- 2026.2.24「羊は、わたしの声をききわける」
- 2026.2.3「目をさましてお祈りなさい」
- 2026.1.20「遠く地の果てまで」
- 2025.12.9「マリアは心に思いをめぐらしていた」
- 2025.11.25「イエスは朝早く起きて」
- 2025.11.11「神さまといつもいっしょ」
- 2025.10.28「いなくなった子どもが見つかった。さあお祝いをしよう」
- 2025.10.7「さあ、出かけてお父さんのところへ行こう」
- 2025.9.9「弟は遠い国に旅立った」
- 2025.7.8「ある夜ニコデモという人が」
- 2025.6.24「空の鳥を見なさい」
- 2025.6.10「天におられるわたしたちの父よ」
- 2025.5.13「行って告げなさい」
- 2025.4.15「時は夜であった」
- 2025.3.4「神の計らいは限りなく」
- 2025.2.25「私が愛したように」
- 2025.2.4「わたしは戸口に立ってたたいている」
- 2025.1.28「義にうえかわく人はさいわい」
- 2025.1.14「新しい歌を主に歌え」
- 2024.12.10「すべてをてらす光」
- 2024.11.12「平和をつくる人は幸い」
- 2024.10.22「実を結ばない枝は切り取られる」
- 2024.9.24「わたしはぶどうの木」
- 2024.9.10「自分のために宝を貯えても、神の前に宝を貯えない者は・・」
- 2024.7.2「わたしはいのちのパンである」
- 2024.6.18「わたしを愛するならば」
- 2024.6.4「どんなことがあってもいつも平和」
- 2024.5.21「わたしはまたもどってくる」
- 2024.5.7「恵みあふれる聖マリア」
- 2024.4.16「心の清い人はさいわい。その人は神を見るでしょう」
- 2024.2.27「わたしたちも人をゆるします」
- 2024.2.13「右の手のすることを」
- 2024.1.30「いったい、この人は誰だろう」
- 2024.1.16「ほかの道を通って帰った」
- 2023.12.12「かいばおけに寝かせた」
- 2023.11.28「主の道をととのえよ」
- 2023.11.14「何回まで人をゆるせばよいですか」
- 2023.10.31「天の国ではだれが一番えらいのですか」
- 2023.10.10「天の国は真珠を探す人に似ている」
- 2023.9.26「天の国はパン種に似ている」
- 2023.9.12「天の国は一粒のからし種に似ている」
- 2023.7.4「かわく者がいれば」
- 2023.6.20「日ごとの糧を今日もお与えください」
- 2023.6.9「砂の上に家を建てる」
- 2023.5.23「小さな者にあらわしてくださった」
- 2023.5.9「求めなさい さがしなさい 叩きなさい」
- 2023.4.18「ガリラヤで待っている」
- 2023.4.10「さあ、来て、朝の食事をしなさい」
- 2023.4.7「父よ、彼らをお許しください」
- 2023.3.7「その悲しみはよろこびにかわる」
- 2023.2.21「新しい おきてを あたえる」
- 2023.2.6「狭い門から入りなさい」
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- 2022.4.19「あなたたちに 平安があるように」

