けさのみことば ~こどもとともに~2025.7.8

2025.7.8
「ある夜ニコデモという人が」
ニコデモという人が、ある夜イエスのもとに来た。 ヨハネ3章1節
ニコデモという名前の男の人がいました。
ニコデモさんはユダヤ人の指導者の一人で、ユダヤの都エルサレムに住み、人々から尊敬されている政治家でした。今でいえば、大臣のような役割りをしていた人です。そして、律法という決まり事をよく理解し、きちんと守っていた人で、大学の先生のように知識があり、何が正しいか判断する裁判官のような役割も担っていたのです。当時のユダヤ社会では、地位も名誉も力もある、とても偉い人でした。
このニコデモさんは、イエス様がたくさんの人を励まし、慰め、病気を治し、力づけたという話を聞いていましたので、「どうしても一度イエス様に会いたいな。イエス様って一体どういう人なんだろう。お話ししてみたいなあ」と思っていました。けれでも、ニコデモさんの友だちは皆、イエス様のことを悪く言います。それに、イエス様はまだ30歳を少し過ぎた若い人です。社会的な地位もあり、年を取ったニコデモさんが自分から会いに行くのは、なんだか気が引けます。それに他の皆に知られたくはありませんでした。けれでも、イエス様から会いに来てくださるとは思えません。「イエス様に会いたい。お話を聞きたい」という思いがニコデモさんの心の中でどんどん強くなっていき、、とうとうある時、イエス様の所へ自分から出かけて行きました。けれでも、それは昼間ではありません。誰にも見られないように、夜、こっそり会いに行ったのです。
イエス様は、ニコデモさんを喜んで迎えてくださいました。ニコデモさんは前からイエス様に聞いてみたいと思っていたことをいろいろ質問しました。イエス様はひとつひとつ親切に答えてくださいました。イエス様のお答えは、とても深くて、知識が豊富なニコデモさんにも良くわからないこともありました。しかし、ニコデモさんは、イエス様のお言葉を心の中に大切にしまいました。
ニコデモさんは、イエス様にこっそりお会いした夜のことを、忘れることができませんでした。そして、イエス様のお言葉を、何度も何度も心の中で思い巡らしていたのです。
それから何か月がたちました。
イエス様はユダヤの国の偉い人たちにつかまえられ、殺されることになりました。その時、ニコデモさんは「イエス様は、そんな悪い人ではない」と、周りの々に訴えました。けれども、結局、イエス様は十字架につけられてしまいす。
ニコデモさんは、他の弟子たちのように、イエス様に従い、ずっと傍にいたわけではありません。それどころか、イエス様を認めたくない人たちのグループにいた人です。
けれども、イエス様が亡くなった時、イエス様のお体を清めるため、高価な油や薬をもってきてくれたのはニコデモさんでした。
ニコデモさんは、イエス様と出会った夜、イエス様から伺った「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」という言葉の意味がどうしてもわかりませんでした。けれども、「神様の国」に行きたいと思っていたニコデモさんは、イエス様のなさること、話されることにいつも心を寄せていました。十字架の上でイエス様が亡くなられたとき、ニコデモさんは、誰の目も気にすることなく、亡くなったイエス様のために、高価な油や薬を準備したのです・隠れてイエス様と会うことしかできなかったニコデモさんは、いつの間にかイエス様のために働くことができる人になっていました。確かに、新しい人に変えられていたのです。
(そのとき、もしかしたらニコデモさんはイエス様があの夜に話された「風と霊の話を思い出したかもしれません。
風はどこから吹いてどこに行くのかはわかりません。けれども木の葉が揺れていることを見て風が働いていることをわたしたちは知ることができます。イエス様のおっしゃる聖霊がどのように働かれたかはわかりませんが、ニコデモさんの行いを見れば、確かにニコデモさんが新しい人に変えられたことが分かります。新しい人になったニコデモさんは、きっと神様の国を見ることができたでしょう。)
私たちにも、イエス様はいつも働きかけてくれています。だから、ニコデモさんのように、よく分からなくても、イエス様のお言葉や行いを心の中で思い巡らすことは大事なことです。心が晴れやかになった時、「ありがとう」と自然にいえたとき、素直に「ごめんなさい」ができた時、そんな時はイエス様が私たちの内で働かれ、私たちは新しい人に少しずつ変えられているのかもしれません。
神様は見えないけれども、いつも私たちのために働いてくださっていることを忘れないでくださいね。そして、新しい人になっていかれるように、長い夏休みも、祈りのときと場を大切にしてくださいね。
けさのみことば ~こどもとともに~
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