田園調布雙葉学園カトリックセンター「愛の泉」
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けさのみことば ~こどもとともに~2022.10.18


2022.10.18
「羊のためにいのちを捨てる」

(わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる  ヨハネ 10・11)


 今日も、羊飼いのお話です。
 「よい羊飼いは羊のために命を捨てる」と聖書には書かれていますが、本当に、そんな怖いことがあるのでしょうか。
 今年の出来事ですが、牧草地で飼われていた羊や山羊が九頭盗まれるという事件がありました。他にも、熊に襲われた牛や野生の犬に襲われた山羊や鶏の事件も起きています。今の日本でも、このようなことがあるのですね。
 聖書に書かれているのは、今から二千年以上前のお話です。そう考えれば、イスラエルには、羊を狙うオオカミなどの野生の動物や羊泥棒がもっとたくさんいたことでしょう。羊を守るために、大怪我をしたり、命を奪われてしまった羊飼いがいてもおかしくはありません。
 「なにかあったら、さっさと逃げてしまえばいいのに」と思う人もいるでしょう。けれども、羊のことをよく知っていて、羊と深い繋がりがあるよい羊飼いは、何とか羊を守れないか、何かできないかと思うのです。
 皆さんの中にペットを飼っている人がいるとするでしょう。そのペットを、まるで家族の一員のように感じている人もいるでしょう。もし、そのペットのいのちが脅かされていたら、何とかしたいときっと思うはずです。羊飼いの思いはその気持ちと同じです。
 でも、本当に自分の命が失われそうだったら、私たちは自分の命を差し出すことが出来るでしょうか。
 イエス様が生きていた時代、イスラエルの民を指導する人々を、よく羊飼いにたとえていました。しかし、自分の使命を果たさず、自分のことを先にして、民の苦しみに心を掛けない指導者や、はじめは良くても、段々自分は偉いと思い、自分勝手に振舞う指導者にイエスラエルの民は苦しめられていました。とても、良い羊飼いとはいえない人たちです。
 イエス様はおっしゃいます。
 「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」
 イエス様が活動なさっていたころのイスラエルには、良い羊飼いに恵まれない羊と同じ様に、どうしたらいいのか分からずに苦しみの中にいる人々、勝手なことを行ってお互いに傷つけてしまう人々、自分がよければいいと他の人と豊かな繋がりをもてない人々、悪と戦う力のない人々。そんな人々がたくさんいたのです。よく考えれば、それは今の世界の人々の姿でもあります。そんな弱い、すぐ迷ってしまうわたしたちに、イエス様はご自分の命を与えるとおっしゃいます。
 そうです。そして、イエス様は、ご自分のお言葉どおりになさいます。土壇場になって逃げ出したりはせず、ご自分のいのちを、本当に差し出されたのです。
 イエス様は「わたしが来たのは、羊が豊かにいのちを受けるため」ともおっしゃいました。イエス様がいらしたのは、わたしたちのいのちを脅かすものからわたしたちを守り、正しい道へと導くためだけでなく、わたしたちに生き生きと生きられるいのちの力を与えるためです。
 このいのちを豊かに生きられるように、よき羊飼いであるイエス様の声を聴き、イエス様の心を感じ取り、イエス様に従う人になれますように。
 日々の祈りを通して、ともに歩んで下さるイエス様を感じられる子どもになれたら嬉しいですね。


けさのみことば ~こどもとともに~

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