田園調布雙葉学園カトリックセンター「愛の泉」
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けさのみことば ~こどもとともに~2024.9.10


2024.9.10
「自分のために宝を貯えても、神の前に宝を貯えない者は・・」

(自分のため富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこの通りだ。ルカ12章21節)


 皆さん、どんな夏休みを過ごしましたか。
今年の夏も、とても暑かったですね。熱中症から自分のいのちを守るためには水分を取らなければいけません。本当にのどがカラカラに渇いたとき、目の前にお水と普段から欲しいものが色々と並んでいたとして、何を選びますか。やっぱりお水ですよね。大切な一つしかないいのちを守るためにはお水を選ぶでしょう。本当にいのちに必要なものをのどの渇きは教えてくれます。
 ヘブライ語で「いのち」のことを「ネフェシュ」というそうです。イエス様や周りの人達はこのヘブライ語でいろいろなことを考えていました。この「ネフェシュ」という言葉の本来の意味は「人間ののど」をあらわしているそうです。
 私たちのいのちは、のどのように、何かに渇くのです。そして、のどの渇きをいやすのが水分であり、他のものではだめなように、いのちの渇きをいやすのは、何でもいいわけではないのです。他のものでは、いのちの渇きは満たされず、いのちは枯れていってしまうのです。
  ある日、イエスさまはこんなお話をなさいました。
 「一人のお金持ちがいました。畑の作物がたくさんできたので心の中でこう言いました。『すごい、すごい、今年はこんなにたくさん収穫があった。倉はもういっぱいだ。収穫したものをどこにしまおうか。そうだ、今の倉をこわして、もっと大きな倉を建てよう。そこに全部入れて自分に言おう。お前はもう働かなくても大丈夫だよ。こんなに沢山の食べ物があるのだもの。さあ、これからは働かないで食べたり、飲んだり楽しく遊んで暮らそう』ところが、ちょうどその晩のこと、神様はその人に言いました。『あなたのいのちは今晩まで。あなたが亡くなったら、倉の中のものは一体だれのものになる』自分ために宝をいくら蓄えても、神様の前に宝を蓄えない者のいのちは枯れていくのだよ」
 この人は、もちろん悪い人ではありません。畑の仕事を一生懸命やって、お金持ちになり、今やっと大きな倉を作ることができて、ほっとしたところです。
イエス様がおっしゃりたいのは、この人が自分の宝は自分のものだから自分のためだけに使おうという態度です。また、倉の中がいっぱいなら安心。私のいのちの渇きは満たされた、だから大丈夫、と思っている心です。
 「そうではないよ。宝はよいものだけれど、もっとより良いもの、いのちの渇きを満たすものは別にあるのですよ。天の国は、神様とのつながりを大切に生きるところ、周りの人との愛の繋がりを生きるところ、自分のためだけに生きるところではありません。財産や持ち物がいのちの渇きを満たすのではないのです。天の国のように、神様や他の人との愛の繋がりを大切にすることが、神様の前に豊かになること、いのちの渇きを満たすことになるのだよ。」とイエスさまはおっしゃいます。
 まだまだ暑い日が続きます、のどが渇く前に水分補給が必要なように、心が、いのちが、カラカラに乾く前に、神様と、周りの人とよい繋がりを持って、毎日を過ごしていきましょう。そうすれば、満たされた、豊かないのちを生きる喜びをいただけるでしょう。


けさのみことば ~こどもとともに~

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