田園調布雙葉学園カトリックセンター「愛の泉」
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けさのみことば ~こどもとともに~2024.9.24


2024.9.24
「わたしはぶどうの木」

(わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。ヨハネ15章5節)


イエス様が生まれ育ったユダヤの国では、たくさんのぶどう畑がありました。だから、ユダヤの人々にとって、ぶどうの木、ぶどうの実は、とても親しいものでした。イエス様も、ぶどうの木のこと、その育て方について、よく知っていらっしゃったのでしょう。そして、お話を聴く人々にも分かり易いように、ぶどうの木をたとえにして、お話しなさったのでしょう。
 よいぶどうの実を作ることは、とても手のかかる仕事でした。まず、よい土でなければなりません。その土の上に棚を組んだり杭をたてたりして、枝がそこを這って伸びていくようにします。ぶどうの木はとても勢いよく成長するそうです。つるもどんどん伸びていきます。でも、そのままにしておくわけにはいきません。良い実を結ばせるには、大変な手間と長い時間がかかります。植えてから実を付けるまでには、だいたい三年くらいはかかるそうです。苗木から生えてきた一番良い枝を残し、この枝が立派に成長するように、そこから生えてくるほかの小枝は切っていきます。このように毎日お世話をして、木がしっかりした大人になると、いよいよ花をつけ、実を結ぶ枝が生えてきます。その時には、実のなる枝と実のならない枝をよく見わけ、実のならない枝は切り落として、実のなる枝に栄養がよくいきわたるようにします。そうしないと良い実にはならないのです。ぶどうを育て、よい実を実らせるためには、数年の間、ぶどうの木の成長を根気強く待ち、毎日ぶどう畑に出かけ、ぶどうの木をよく見て、必要なことをきちんとする人がいなければなりません。とっても大変なことですね。
 ところで、イエス様は「わたしはぶどうの木」だとおっしゃいます。それから、「あなた方はその枝です」とおっしゃいます。そして、神様は、「ぶどう畑でぶどうのお世話をしている方だ」とおっしゃいます。
 イエス様はどうしてこのようなたとえ話をなさったのでしょう。それは、この次お話ししましょう。
 今は秋、ぶどうの美味しい季節です。皆さんも時々ぶどうを食べるでしょう。おいしいぶどうをいただきながら、イエス様のぶどうのたとえ話の意味を考えてみましょうね。


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